ヴィパッサナー瞑想は、
お釈迦さま(ブッダ)が編み出した瞑想法と言われています。
ブッダは、この瞑想法により、悟りを得て、
この瞑想法を、多くの人に伝えていたそうな。
ヴィパッサナー瞑想は、原始仏教とも言われ、
ブッダの教えをもっとも忠実に伝えている仏教らしい。
「ヴィパッサナー瞑想では、
一瞬一瞬の思考や動きに気づき続ける」
という話を聞いたことがあったので、
浮かんでくる雑念や、自分の思考を観察するようなものだと予想してたのですが、
行ってみたら、全く違いました。
ヴィパッサナー瞑想にも、いくつか流派があるらしく、
それによって、かなり違うらしいのです。
今回ぼくが受けてきたゴエンカ師のヴィパッサナー瞑想は、
体の感覚(触覚)に意識を置くものでした。
ヨガでも、
自分の呼吸や、体の感覚を意識して、
自分を客観的に眺められるモニター力をつけていくので、
ヴィパッサナーは、とてもヨガっぽい瞑想法だなあと感じました。
ぼくたちの感覚というのは、
どこにフォーカスするかで、感じ方が全く変わってきます。
例えば、耳から聞こえてくる音。
耳をすますと、
遠くで車が走る音や、
電化製品が動いている音や、
いろんな音が聞こえているのですが、
ぼくたちは、自動的に、必要な音だけにフォーカスして、
必要ない音には、ほとんど意識を向けないようにしているのです。
それと全く同じことを、
ぼくたちは体の感覚(触覚)でもやっているのです。
例えば、皮膚が服にあたっている感覚、
風があたっている感覚、
空気の温かさや冷たさ、
筋肉がひっぱられてる感覚、
胃が刺激されていたむ感覚、
などなど、
体の表面の皮膚だけでなく、
体の内部までも、
無数の感覚を、常に同時に感じ続けているのです。
ヴィパッサナー瞑想の練習では、
それらすべてに意識をフォーカスしていきます。
そうすると、どうなるか。。
ぼくたちは、元々、
上の図の、Aのような感じで、
自分の肉体を認識していると思いますが、
10日間の修行で、なんとなく、Bのような感じがしてきます。
修行を積んで、肉体感覚がもっともっと鋭くなっていくと、
Cのように、
自分とまわりの境目がよくわからず、
つながっているような感覚、
すべてのものとひとつであることを、体感としてわかるのだと思います。
「世界はひとつだよ。すべて、宇宙の一部だよ」
って、よく言われますが、
知識としては理解できるけど、
感覚としてわからんから、いまいち、ぴんと来ない。
それが、感覚としてわかってしまうのが、
このヴィパッサナー瞑想なんだろうなあと思います。
ぜひ、体得したいものだ。
具体的に、どんなふうに肉体が感じていったか、
また続きを書こうと思います。