2016年04月22日

小水力発電を用いた、石徹白の地域づくり

image.jpg

辻信一さん、プラチャーさんのツアーにお供する中で、
岐阜県の、石徹白(いとしろ)を訪れました。

元々は、白山を訪れる修験者の宿場町として栄えた、標高700mの集落。

最大で1200人を越えた人口も、
50年あまりのうちに、4分の1に減少し、

スキーリゾートによる町おこしも失敗し、
ますます人口減少が続く中、
持続可能な集落をめざした地域づくり活動が始まったそうです。

移住者である、平野さんを中心に、
水車を使った、小水力発電のプロジェクトが始まりました。

小さな水車で、ひとつひとつ実績を重ねながら、
地域の人たちを巻き込み、
みんなで資金を出し合って、
水車を増やしてきたそうです。

image.jpg


平野さんは、言います。

「高度経済成長で、物は豊かになっても、
しあわせは増えなかった。

不幸の原因は、依存にあると思う。

食べ物が足りない。
物が足りない。
電気が足りない。

と、外に求める考え方。

小水力発電が、地域の問題を解決するのではない。

小水力発電をきっかけに、
自分たちの手で、自分たちの暮らしをつくるという、
依存しない精神を取り戻すことが大事。

だから、水車づくりにも、できるだけ地元の材料を使い、
電気工事も土木工事も、地域の人たちで行い、
壊れても、自分たちで修理できる。

この田舎の小さな村には、すべてがある。

水は豊かだし、
土も豊かで食べ物も作れる。

服も自分たちで作れるし、
電気も自分たちで作れる。

豊かな人と人とのつながりがある。
外に頼らなくても、楽しく生きていける。」


石徹白の小学校の生徒は、年々減り、
全校生徒は4人まで減ったそうですが、

意識の高い若者たちが少しずつ集まってきたおかげで、

移住者の子供がこれから入学して、
V字回復で、増えていくそうです。

今、石徹白は、山村の地域づくりのモデルとして注目されていて、
これから他の地域でも、同じような現象が広がっていくのだと思います。

image.jpg


石徹白の神主さんは言いました。

「このあたりは、水がきれいな地域と言われるけれど、
子供のころ、うじゃうじゃいた魚が、ほんとに少なくなった。

戦後、利益を求めた人たちが、
山の杉を、全部切り出して、売り払ってしまった。
毎日毎日、トラックが来て、運び出していった。

その影響か、1980年ごろには、
たくさんあった樫の木は、全部枯れてしまった。

土の栄養はなくなり、海の栄養はなくなり、
魚が減っていったのだと思う。

また戻っていくには、数百年という時間がかかると思う」


「もっともっと」と、きりがない成長を目指して、
自然を損ない続けた、
産業革命以降(特に戦後の経済成長)の時代から、

「足る」を知り、依存せずとも満たされ、
自然と共生していく、新しい時代へ。

時代の変換は、すでに始まっていると感じます。
posted by ぬん at 16:13| Comment(0) | 環境・社会 | 更新情報をチェックする